2年目は、地元の志津川高校の生徒さんからその当時の話を直接聞く機会を得ました。家族・親戚・親しい人たちを犠牲にした現実をまだ受け止められない、その心の葛藤と闘いながら中学生から高校生になった話に思わず涙ぐみながらその話に耳を傾ける女子生徒の姿がありました。同年齢でありながら高校受験の勉強を自宅ではなく仮設住宅の環境の中で取り組み、それでも犠牲になった友人を思えば勉強ができる自分は幸せであり、その夢を果たせなかった友人の分も自分が頑張ることで命のバトンとその絆を自分の生き方に繋げよう、そのような姿勢を共有することができました。仲間や友人が傍にいる、見えなくても心のなかにいる。人と人との繋がりや絆なの意味を理屈ではなく五感を通して学ばせてもらいました。「そばにいる 仲間がきっと そばにいる」現地の生徒さんが詠んだ句にもそのような想いが込められていたのかもしれません。
3年目には仮設住宅訪問やボランティアを経験しながら、石巻専修大学で津波のメカニズムと復興については、具体例を通して学びました。特に復興については、阪神淡路大震災と北海道南西沖地震(平成5年)の例を踏まえ、復興の困難さを改めて認識することになりました。更に石巻西高の斎藤校長先生からは「災間を生きる」のテーマで講演を戴きました。日本で生まれ生活する私たちは、常に自然災害と背中合わせに生きている、この現実を直視しなければならないことを災害と災害の間を生きているという意味から「災間を生きる」という言葉で気付かせて戴くことができました。そして4年目の2015年春に南三陸を訪問した際には、海は穏やかで街並みはきれいな更地になっていました。眼下に広がりを見せる風景はただただ広く何もない状態でした。そこに何もないことが逆にたくさんのことを想像させることにもなりました。復興・再生は目に見えますが、本当に大切なものは目には見えないその根底にある生きる意欲の再生であり、それは人の心の持ち方や精神性につながるものであることを再認識する契機になりました。
斎藤校長先生がその講演の中で「生徒を育てるのは生徒、先生を育てるのも生徒、学校を育てるのも生徒」そして教育の力とは、「生徒を幸せにする力」だと言っておられました。希望や生きる意欲を失いかけていても「人は自分が必要とされていることを感じることができれば、必ず生きていこうと思える」そうもお話しくださいました。桜丘は、これからも南三陸を訪問することを続けていきます。この震災を忘れずに、数々の教訓や復興の軌跡も含め、後世に伝えていくべきことは何であるのかを生徒の皆さんや先生方とともにしっかり受け止め共に生きていきたいと思います。今「別れと出会いの春」が訪れようとしています。生徒同士で高め合うことができる学校、生徒を幸せにする教育の力を目指し、震災5年目の節目の春、決意を新たにし臨んでいきたいと思います。